2021年12月31日
今年もあと5時間ほどで年が変わろうとしている時、
なんとなく今年の出来事を言葉に起こしたくなった。
今年に入ってからまともに更新をしていなかったこのブログに、
久しぶりに言葉を吹き込ませる。
2021年。
私は家族との別れを経験した。
少し重たく感じ取られてしまうだろうか…。
人生の半分以上を共にしていた、愛犬が今年の9月に息を引き取った。
平均というべきか少し早いというべきか、14歳の誕生日を目の前に私の前から姿を消した。
3か月も経ち心を整理できていないのは、人生の半分以上を共にしていたからだろう。
愛犬(ぷりん)は私が小学生の時に我が家にやってきた。
マイホーム購入とほぼ同時に5人目の家族として迎え入れることになった。
初めてペットショップで見た時、何匹もいる子犬の中から
「女の子はこの子だけです」という店員の声に導かれ目にしたのがぷりんだった。
第一印象は目元が目ヤニで変色していて「この子…?」と小学生ながらに感じたことを今でも覚えている。
今考えると、すごく失礼なことを頭の中で考えていたなと思う。
晴れて自宅に迎え入れたぷりんはあまり悪さもせず、私の膝の上でうずくまっていた。
小学生の時はソフトボールに励み中高と野球をやっていた私は、
ぷりんと過ごす時間は決して長いとは言えなかった。
疲れて帰ってきて少しかまって、翌日また練習に行く日々。
それでもいつも優しい顔で、だけどどこか興味なさげに近づいてくる彼女が私にとっては癒しとなっていた。
反抗期を迎えた私は家族との会話も最小限になっていたものの、
ぷりんにだけは話しかけることができていた。
そんな私の感情にも気が付いていたのか、何も言わずにそばにいてくれた。
大学生になり、ますます自宅にいる時間が少なくなった。
大学から帰ったらすぐにバイトに行く日々。
帰りは深夜1時過ぎ。
帰宅して、そっと賄いを食べる私の足元に彼女は眠そうにやってきてご飯を求めてきた。
これが私と彼女とのコミュニケーションであり、4年ほどこのやりとりを続けていた。
そんな日々を送っていた時に、腎臓の病気を発症してしまったのだ。
元々体は強くなかったけれど、なんとなくまだ大丈夫だと思っていた。
今思い返すと「まだ大丈夫」という感情は私が感じていた「不安」を消すための都合のいい思い込みに過ぎなかった。
社会人になっても体調が回復することはなかった。
耳も少しずつ遠くなり、目も見えにくくなっていたと思う。
それでも私が食事をとる時は足元に駆け付け、
これまでと変わらない様子でご飯を求めてきた。
この時も私は「まだ大丈夫」と強く思っていた。
9月に入っても30度を超える日が多い今年の夏。
通院中に酸欠状態へとなってしまった。
一時的なものではあったが、母からその話を聞いた時、
「まだ大丈夫」と思い込んでいた私の気持ちが一気に「不安」へと変換された。
その1週間後、危篤状態となった。
最後に散歩に出かけたのはいつだろうか、抱っこをしたのはいつだろうか、一緒に寝ようとして逃げられたのはいつだろうか、
そんな心残りだけが私の中には残っていた。
危篤状態になってから、私は父に電話をした。
この日は日曜日で、父は出かけていた。
実は私の家族は世間から見たら「仲のいい家族」とは言えず、
家族4人が揃うことはおそらく10年くらいなかったと思う。
そんな家族4人、私を除き、母、姉、ぷりん、父を同時に私の視界にとらえたのも10年ぶりだと思う。
同時に、彼女の存在がこの家族を繋ぎとめてくれていたようにも感じた。
それから10時間程が経過した。
彼女は母の腕の中で、最後に何かを言いかけて息を引き取った。
太陽が昇り始めた朝6時過ぎのことだった。
愛犬との別れ。
23年間生きてきた私の14年間を共にしてきた家族を、この時初めて失った。
私にとっては大きな出来事でも、世間から見たら知ることのない出来事。
いつもと変わらない世の中に、私の心は整理ですることができていなかった。
帰宅してもそこには姿もなく、その瞬間が何よりもつらく感じた。
2021年。
私にとってはこの別れが大きな出来事のひとつとなっている。
生活をする中での後悔も今思うといくつもある。
今頃天国でも自由気ままに寝ているのだろうか。
ゆっくりと休めているのであれば、私は嬉しく思う。
後悔はいつも終わりと同時に訪れる。
いつでもご飯あげるから、いつでも帰ってきてね。
「ごめんね」の感情が多い今、少しづつ「ありがとう」といえるように、
私は強くなりたい。