2021年 4月。
コロナ禍による激しい社会の変化の中で、晴れて社会人になった私は、
都会のコンクリートに囲まれて忙しない日々を過ごしている。
私が勤めることになった会社は東京の渋谷にオフィスを構えており、
苦手な人ごみの中私は奮闘している。
元々人混みが苦手で、特に渋谷のような若者が集う街が苦手で。
それなのになぜか渋谷に勤めることになった。
あの時なぜ勤務地に都会を選択したのか、未だにわからない。
そんな渋谷勤務も既に1ヵ月が経とうとしている。
時の流れはあっという間で、気が付いたら30、40歳になっているのだろうか。
そんなことを空想し、くるりの上海蟹を聞きながら毎朝通勤している。
歌詞の中で描かれている上海の情景は、私には薄汚く映っていて、
その情景と渋谷の情景がどこか一致する節があり、朝になるとつい再生してしまう曲だ。
都会に染まらないように必死にもがいているが、
今年のGWもどこか遠くに行けるような世の中ではなく、
むしろそんな世の中が当たり前になりつつある。
最後に出かけたのは3月下旬の桜の開花が報道された春の日。
地元千葉県の房総まで車を走らせた。
特にこれといって目的があったわけではないけれど、
なんとなく夕日が見たくて、原岡桟橋まで行ってきた。
陽が沈む水平線にわずかな人の影。
ゆったりとした時間が流れるこの場所でも、
夕陽は忙しなく次の目的地に向かっていく。
目まぐるしく過ぎていく日常を、私は逃さまいと追いかけていく。
その速さに負けないように、必死に食らいつく。
周囲の速度が速すぎて視界がぼやけそうになる。
いや、もうすでにぼやけている。
クリアなフィルターを通してみる世の中より、
少しだけぼやけて見える世界の方が、
もしかすると美しいのかもしれない。
明日もまた、上海蟹を聞きながら、
渋谷の街に消えるのだろう。
ぼやけたフィルターと共に。
to be continued…